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西川音頭

飯能材友会会報 創刊号の中村好夫氏の記事より

大正から昭和へと時代は移り好況であった飯能の木材界も昭和6年頃より不況になり昭和8年頃には、ほとんどの商店で材木が売れなくなり、このまま放置していると西川地区の林業、木材業業界は全滅するのではないかと云うほどであった。
当時業界団体であった武州西川材木商同業組合組合長 浅見保太郎氏、(現在友会会長浅見滝治郞氏厳父)に於いては何か此の他産地に負けない優秀な西川材を売る方法がないものかと日夜苦心され、これは当地方を何らかの形で宣伝しなければダメであると言うことで、それにはみんなに親しまれる唄でも作り、これをレコードに吹き込んで主要取引先である東京の本所、深川地区木材問屋街を中心に大々的に現在でいうPRに乗り出すことになった。
そこで出来たのがこの「西川音頭」で作詞は松村義人氏、唄は当時「勝太郎」、「美ち奴」と共に人気のあったキングレコードの浅草吉奴に吹き込んでもらい踊りまで作って、先ずPRは地元飯能からと現、稲荷町久下稲荷神社境内にヤグラを組み、それこそ連日連夜此のレコードをかけて踊りと歌を流し廻り、飯能での会合には一番最初に西川音頭が歌われるまでになりその勢いで本所、深川一帯を中心にレコードを配布し、又飯能へ招待し西川材の宣伝を大いに行った。
それ以来西川材の人気は高くなり多地方の材よりも高値で仕切られるまでになり西川材の名声は天下に知れ渡った。
(飯能材友会会報 創刊号より引用)
昭和44年6月15日

 

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