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西川材の今昔

      2015/08/28

①西川材のふるさと

埼玉県南西部荒川支流の入間川、高麗川、越辺川の流域を西川林業地と呼んでいます。

江戸時代、この地方から木材を筏により流送していたので「江戸の西の方の川から来る材」と言う意味から、この地方の材木が「西川材」と呼ばれるようになりました。

西川という川も地名も有りませんでした。そして、吾野・東吾野両村が飯能市に合併した時、両村の間にある小学校が西川小学校と名付けられました。

西川材は殆どが個人所有で1ha〜50ha位の林家が多く自宅近くの山を枝打ち間伐をこまめにやって、丹精込めて育てているので艶が良く、年輪が緻密で節のない良い材が生産されています。又、立木(タテキ)と称して皆伐しないで良い木を何本か残す習慣もあります。

②伐採から原木市場へ

昔、立木は製材所が直接山から買い付けていましたが、昭和35年頃から原木市場が出来、丸太の取引が大変便利になりました。

そして、一時は原木市場が乱立し、7〜8カ所の原木市場があり毎日のように原木市が開催されましたが半世紀以上たった今は吾野原木センターと埼玉林材市場の二市場のみとなってしまいました。

伐採も30年生中心の主伐から間伐中心となり、木材の値下がりから補助金なしでは成り立たなくなりました。

そして伐採された木材は殆ど原木市場に運ばれ、樹種別・用途別等に仕分けされ公正なセリにかけられ販売され、製材所では多くの在庫を持たずに必要な材だけ求められるようになりました。

そして、取引後の決済もスムーズに行われるようになり、昔有った口径の争いなども日本農林規格の厳密な適用で行われるため、取引は明るく公正になり材木屋お得意の情実取引は姿を消しました。

③西川林業の今昔

西川地区を代表する篤林家2名の埼玉県優良木材展示会(11月20日)の精算書を参考に1996年と2014年の18年の差を比べてみました。

<一方の材が18年前より1/20の価格に、もう一方が1/7の価格になってしまいました。>

上記は一つの例ですが、木材の特に優良材の値値下がりが顕著の程が解ります。

なぜこのように値下がりしたのか?

一つは、家の建築様式が真壁作りから大壁作りに変わったこと、柱が見えなくなり、洋間が多く日本間が少なくなったこと、木が表に見える部分が減った事により高級材が敬遠され、加工のしやすい外材が大量に入荷したこと等です。

さらに、プレカットが導入されるようになり、曲がり丸み等が使用できなくなり挽き直し乾燥等要求されるようになり、加工コストは大幅に高くなりました。

このようにして、優良な西川材が急落したわけです。

しかし、家を支える物は今も昔も優良な材です。

今、家を建てる方は外見に惑わされず価値を大幅に下げた優良な西川材をお薦めする次第です。

 

この記事は、吾野原木センター会長 鴨下孝一様に寄稿していただきました

依頼に対し快諾くださったことに深く感謝します

 

吾野原木センター

埼玉県飯能市平戸203

電話:042−978−0316

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