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岡部材木店の転機 その1

      2015/08/28

柱から内装材へ

昭和64年は平成に変わった。

その年、この岡部材木店も同時に方向転換を決定。

「柱」が中心の製材所であった業務内容は「内装材」中心と変更され、「柱」が主であった製品の流れは、概ね市場へと持ち込まれていた。

生材が主流であったその当時、他社に優る品質を念頭に早い時期から乾燥材にもチャレンジ、修正挽きも行っていた。

その当時、これ程手間をかける業者は少なく、これを理解した顧客からは重宝され、持ち込めば持ち込むほど売れに売れた。

_DSC0189_1しかし、売り上げが増加する一方それに見合う収益が伴っていなかった。

利益率、効率が原因であることは明確な事実であり、手間暇をかけた分が損失であった。

顧客側は良いものを求めるが、その価値を認めてプラスαの値段で売れる取引できる環境ではなかった。

11tトラックに満載された「柱」の出荷はほぼ毎日だった。そのために、夜の8時位まで工場は稼働していた。

早朝から夜遅くまで、限られた員数で懸命に仕事を消化する毎日が続いていた。

そしてある日、優しかった義父が「せっかく良いものを作っても儲からないのではしようがない。付加価値の認められるものを作ろう」その一言が「板材専門」の材木屋となった瞬間であった。

心機一転、期待を胸に小隊は動いた。

しかし、現実はまるで「肩すかし」。

数日前の忙しさが信じられないほど売り上げは下がってしまった。

「柱」と「板」の違いが如何に難しいものかを「売り上げ」によって気付かされていた。

多々算段・・四苦八苦するが好転しない毎日が続いていた。

そんなある日、市場で出会った知人が「市場に出すのではなく、自分で販売ルートを開拓しては」とアドバイスをくれた。

その頃は世の全体がアグレッシブに動き、多種多様な業種が「待つ商い」から「外向き」の商いに舵を切っていると・・・と思った。

そして、知人の一言に同感した私は「外向き戦略」を確信した。当時は数名の従業員と家族4人の小部隊、ましてや営業など不向きな無骨ものばかりであった。

各々の職種はギリギリの役割で成り立っていたため、「営業職」の座は自動的に私に決まった。

そして、「板材」へと切り替わった業務に11t車は不要ということで、運転手には工場に入って欲しいと依頼するが見事に断られてしまい私が[運転手兼営業]という肩書を貰う事になった。

平成の初期はまだバブルの真っ最中だった。

大工職人や建売工務店などは多大な受注を抱え、少しでも早い完成をめざしていた。

その中にあり手間暇のかかる「無垢材」に気を留める業者は少なかった。

しかしながら、一部の業者は素材の品質にこだわり「岡部」を指名してくれる業者も徐々に表れ、未熟であった営業活動への原動力になっていた。

平成3年を迎える頃になると栄華のバブル期にも陰りが見えるようになっていた。

それは同時に「シックハウス症候群」とやらがメディアを賑わいていた時期であり、その数年後には巨大桃源郷は崩壊を迎えたが、「岡部」の受注は少しながらも伸びていた。

少しだけ・・・。

その2へ続く

 

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岡部 知子(おかべ ともこ)
・木の建築塾事務局
・伝統木構造の会理事

・飯能市文化財保護審議委員

著書

『木ごころ通わせ家づくり チームでつくる技ありの家』

『三代もつ木の家を直営でつくる』

岡部材木店

ホームページはこちら http://www.zaimokuten.com/index.html

〒357-0128
埼玉県飯能市赤沢238

TEL:042-977-0101

FAX:042-977-2491

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